2020年03月06日

吉野家の「牛の鍋焼き」は存在意義が分からん

今日は朝起きた時からええ天気でどっかに出かけたいなぁって思ってました。

それでも日曜日の家宴会のための買い出しがあったんで11時前には家を出て車で買い出しに。

買い物から帰ってちょっと料理の下ごしらえをやったら急ぎの用事がなくなったんでちょっと散歩に出ることに。

この前行って良かったんで今日も久宝寺緑地へ向かいました。

公園ではところどころでわたしには正体の分からん花が咲いてましたわ。

昼過ぎてからの日差しはぬくくて、陽の当たるとこなら外飲みも出来そうなほどでしたわ。

朝の体重がデブってたのに、炊きたてご飯をけっこう食べてしまってましたが歩いてたら腹ペコに。

近所にある吉野家に行ってみることにしたんですが、ここ何週間か吉野家のモンをあて一杯やりたいなぁと思ってたんです。

イメージとしては朝っぱらから牛鮭定食をあてに一杯やる感じでした。

ただ、今日はデブってるからご飯はやめたほうがええかなぁと。

そうなると牛鮭定食ってわけにいかんので、牛すき鍋でも食べるかと店に入りました。

ところが、そのメニューはもう終わってて代わり?に牛の鍋焼き御膳やら牛の鍋焼き定食ってのに変わってました。

あんまり気がすすまんかったんですが、酒のアテにと牛の鍋焼きを単品(498円)でオーダー。

もちろん生ビール352円も行きました。

そしてほかにアテになるもんがないかとメニューを見てアジフライ(176円)単品もオーダー。

で、出て来た牛の鍋焼きってのは、やたらと火の通りの浅い玉ねぎが多い牛皿って感じのもの。

煮汁はほとんどないのは鍋焼きってことなんかなぁとは思いましたが固形燃料程度では“煮る”ならともかく“焼く”とは行かず。

鍋焼きうどんの鍋焼きとおんなじ意味なんかなぁと思いつつもアジフライで飲みつつ待ってました。

牛丼の時もそうなんですが、歯応えが残るような玉ねぎって嫌いなんですよねぇ・・・。

ちょっとでも火が通ってくれと思いながら待ってましたが、ちょっと柔らかくなる頃には固形燃料が燃え尽きました。

バイトの頼りないにぃちゃんに聞くと中身は牛丼の具とおんなじとのこと。

玉ねぎ多いだけで割増料金になる牛丼も売り出されてますが、こいつは牛皿の玉ねぎ多めってだけのことやったんですかねぇ。

私には鉄鍋と火をセットする意味も分からず、ただ値段が高いだけに感じられてこのメニューの存在意義が全く分からずじまいでした。

牛すき鍋だったかは、まだ一応そういう料理として成立はしてたと思うんですけどねぇ。

なかなか煮えんし、味も濃いから無駄に生ビールを3杯も呑んでしもてお会計は50円の割引があっても1848円。

なんかえらい無駄遣いした気分になってしまいましたねぇ。


*朝の体重:58.10kg。(納得行かんぞ。)

*今月の休肝日:2日(昨日は酒を抜きました。)

*今月のジム:1日



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posted by えて吉 at 16:14| Comment(0) | 携帯より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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